甲斐犬の誕生した背景・歴史、性格や外見、手入れ方法や散歩の頻度、性質から見るしつけ方などがここにあります。
甲斐犬の歴史
日本犬種の1つで、昭和4年(1929年)に当時甲府地方検察庁に赴任した安達太助が発見し、昭和6年(1931年)に「甲斐日本犬愛護会」を創立、昭和7年(1932年)日本犬保存会の初代会長斎藤弘吉、獣医師の小林承吉等が中巨摩郡芦安村(現南アルプス市)や奈良田村(後の西山村、現南巨摩郡早川町)に群生していた虎毛、立耳の地犬を調査し、発見した地方に因んで「甲斐犬(かいけん)」と命名、保存活動を開始しました。 また、本来、日本犬の名は「◯◯犬(いぬ)」という呼称になりますが、甲斐犬の場合は「◯◯犬(いぬ)」と呼ぶと「飼い犬(かいいぬ)」と誤解される可能性がある為、例外的に「甲斐犬(かいけん)」と命名される事になりました。
戦国時代には、「門西家文書」によれば永禄3年(1560年)11月3日に甲斐河内領の国衆・穴山信君が湯之奥郷(身延町湯之奥)の土豪で家臣である佐野縫殿右衛門尉が所有する犬3匹の保護を命じています。これは、穴山氏が佐野縫殿右衛門尉が飼育する猟犬を保護する政策で、縫殿右衛門尉の所有する犬は甲斐犬であった可能性が考えられています。
昭和9年(1934年)、天然記念物に指定されました。昭和期には甲府市横近習町(現在の甲府市中央)の呉服商・大木喬策(八代目当主)が甲斐犬を飼育しており、喬策の愛犬「ケン号」は1932年(昭和7年)の第一回日本犬展覧会で山梨県知事賞を受賞しています。昭和9年に甲斐犬が天然記念物に指定されると、喬策は「ケン号」を北白川宮に献上しました。
外見 |
毛色は黒虎毛と中虎毛と赤虎毛とに分かれ、年齢を重ねる毎に虎毛がはっきりしてくることもあります。虎毛は山野で狩りをする際の保護色となります。 |
性格 |
甲斐犬は、現役の猟犬として働く個体もおり、愛玩犬化が好まれず、気性の強さも大切な要件として繁殖されている犬です。 |
体重 | 12~18kg |
体高 | 43~56cm |
甲斐犬の健康
遺伝疾患は比較的少ないです。
大切なペットの具合が悪くなり、動物病院へ行くと、
かなりの請求金額になる事はよくあります。
ケガや病気で手術が必要となった場合、
「入院費+手術代で120,000円」ですとなったら、
どうしますか?
いざという時の為にも人間と同様に保険には加入を検討してみて下さい。
保険料よりも補償内容をきちんと比較する必要があります。
保険料の安さだけで選んだら、いざ、病院に行ったら、
「こちらは保険外です」なんて事にならないように、
ワンちゃんの為にも、飼い主様の為にも、しっかりと各社を比較して、
ご自分と愛するペットに最適な保険を選びましょう!
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甲斐犬の運動
中年齢までは十分な量の散歩や運動が必要です。人間の身長程度の壁をよじ登って越えてしまうことがしばしばあるようです。運動場を作る場合は、2m以上の高さのフェンスを用意することが安全のようです。
他の犬との相性があまり良くない個体が多いため、ドッグランの利用などはトラブル防止によく注意しておく必要があります。
甲斐犬のしつけ
甲斐犬は気性が強い上に、ただひとりの主人に生涯仕えようとする「一代一主」の典型的な犬です。長く共に暮らしてから他人に譲渡することになった場合、新しい飼い主に馴染むのが大変難しい場合が多くあります。飼う人の年齢や体力、犬の飼育経験を十分に検討した上で迎えるようにしましょう。
愛玩犬として可愛がるだけでは、気の強い甲斐犬から尊敬される飼い主になるのは難しく、しつけがしにくくなったり、言うことを聞かなくなることがあります。
生活にけじめをつけるとともに、日々しっかりと訓練を行いながら信頼を作りあげましょう。
しつけの基本は必ず確認しましょう⇒犬のしつけの基本理論 完全ガイド
「おすわり」や「待て」など行動別のしつけ方法はこちら⇒犬の行動別しつけ方法
甲斐犬の手入れ
ダブルコートの短毛で、被毛の手入れは楽です。定期的にブラッシングを行ってあげましょう。
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